いとしい いとしい じゅん
2008年 09月 20日
じゅんは9月16日 午前4時45分頃 旅立ちました
4時間ほど苦しい時間を耐えて・・・・りっぱでした
7月の半ばごろから足の調子が悪くなって
娘が会社を辞めるのを待っていたかのように8月の半ばから不調になりました
足の腫瘍が分かったときには肺やその他に小さな腫瘍がたくさん見つかりました
それまでは元気でいつも通りだったのですが症状が出たときには末期でした
老犬なので延命治療しかできず、その後は
調子の良い日悪い日の繰り返しでした
後ろ足の腫瘍は固く大きくなり、食欲もほとんどなくなりました
ともすると血尿や鼻血が出たり喀血したりと
少し歩くと唇が真っ白になって立ち止まってしまうようになったのでカートに乗せて散歩をしていました
その後はシッコのためだけに抱いて外に連れて行き、また抱いて連れて帰る日々でした
大好きな散歩もできず 大好きなクッキーもパンも食べたくなくなって
無理矢理に流動食のような食事を食べさせられて じゅん君はふてくされていました
僕は自分で歩けるし自分で食べれるのに・・・・という顔をして
息をするのが苦しくて湿気を取ってエアコンを26°ぐらいにしなくては息苦しくて過ごせませんでした
ですがいつも目だけはしゃきっとしていました
苦しそうなそぶりも見せませんでした 静かに横になっていました
調子の良い日は可愛い顔をしてしばらく起きていてくれました
ですが嬉しそうにシッポを振ってくれることは、もうありませんでした
涼しくなってきたのでなんとかもう少し元気になってカートで散歩を楽しませて
あげたかったので点滴と強制的な食事で日々を過ごしていました
誰かが側に居れるよう私が帰宅してから娘がバイトにいくことにしようと話し会っているのを聞いていたのでしょう
13.15日と私が用事で出かけるのを知っていたのでしょう
16日の早朝に旅立っていきました・・・きっと迷惑を掛けないように・・・
私たちにとてもとてもやさしい子でしたから
苦しくなって唸るようになったのは16日の午前1時ごろからでした
かかりつけの病院に走ることもできたのですが
なぜか娘も私も今回は言いだしませんでした
随分と悪くなってきていたのは感じていたしここで延命できたとしてもこの先も苦しまなくてはいけないなら・・・終わらせてあげたい・・・でも もしかしたら良くなるかも・・・
そんな思いの中、何もしてあげれなくて2人で撫でて、呼びかけているだけでした
押し寄せてくる痛みと痛みの合間に何度も私を振り返って見ました、たしかに・・
心臓が止まってもう一度動いたとき4回も5回も息をしようとしましたが
肺の中も気管の中も血でいっぱいで もう息はできませんでした
苦しそうでした「もういいから もういいから 早く止めて」と叫んでいました
じゅんは最後まで毅然とした目をしていました、うつろな目など一度もしませんでした
辛そうな顔もそぶりも一度もしませんでした、私たちは足元にもおよびません
娘と2人で棺を作って花やおやつやおもちゃで埋めてあげました
食べれなかったおやつがいっぱいいっぱいあって・・・・
今にも美しい白い毛が動くのではないか 動いたのではないかと
私も娘も何度もじゅんに触れました・・・まだ暖かいよと
夕方 息子家族と娘と5人で火葬にいきました
じゅんの喉仏はとても美しい仏様でした
じゅんは橋が苦手で小さな橋も怖がって渡りませんでした
ちゃんと虹の橋を渡れたでしょうか・・・・
渡れたら連絡してくれるように言っておいたのに、まだ連絡がありません
きっとそれどころではなくてドリーちゃんやエルやみんなに会って走っているのでしょう
一息ついて思い出したら連絡してくれるでしょうか
今となっては抱えた時のどっしりと重かったじゅんの重みがなつかしく、いとしく思い出されて・・・・もう一度抱きしめたい もう一度触れたい
今は最後のその時の光景が目に焼き付いて離れず
苦しませてしまったことへの後悔が心を占めています
ですがどんなに悔やんでも もうじゅんは戻りません
じゅんとの朝晩の散歩は本当に本当にやすらぎでした
雨の日も炎天下の日も吹雪の日も台風の日も1日も欠かさず散歩にでたじゅんと私
おかげで初日の出も夕日の美しさも雪の美しさも木々の芽生えも小さな草花も
秋の紅葉もうぐいすの声も木の実の実りや突然の虹にも気づかせてもらいました
心洗われる日々でした 心豊かな時間でした
16年間ありがとうね じゅん
また 会えますね
4時間ほど苦しい時間を耐えて・・・・りっぱでした
7月の半ばごろから足の調子が悪くなって
娘が会社を辞めるのを待っていたかのように8月の半ばから不調になりました
足の腫瘍が分かったときには肺やその他に小さな腫瘍がたくさん見つかりました
それまでは元気でいつも通りだったのですが症状が出たときには末期でした
老犬なので延命治療しかできず、その後は
調子の良い日悪い日の繰り返しでした
後ろ足の腫瘍は固く大きくなり、食欲もほとんどなくなりました
ともすると血尿や鼻血が出たり喀血したりと
少し歩くと唇が真っ白になって立ち止まってしまうようになったのでカートに乗せて散歩をしていました
その後はシッコのためだけに抱いて外に連れて行き、また抱いて連れて帰る日々でした
大好きな散歩もできず 大好きなクッキーもパンも食べたくなくなって
無理矢理に流動食のような食事を食べさせられて じゅん君はふてくされていました
僕は自分で歩けるし自分で食べれるのに・・・・という顔をして
息をするのが苦しくて湿気を取ってエアコンを26°ぐらいにしなくては息苦しくて過ごせませんでした
ですがいつも目だけはしゃきっとしていました
苦しそうなそぶりも見せませんでした 静かに横になっていました
調子の良い日は可愛い顔をしてしばらく起きていてくれました
ですが嬉しそうにシッポを振ってくれることは、もうありませんでした
涼しくなってきたのでなんとかもう少し元気になってカートで散歩を楽しませて
あげたかったので点滴と強制的な食事で日々を過ごしていました
誰かが側に居れるよう私が帰宅してから娘がバイトにいくことにしようと話し会っているのを聞いていたのでしょう
13.15日と私が用事で出かけるのを知っていたのでしょう
16日の早朝に旅立っていきました・・・きっと迷惑を掛けないように・・・
私たちにとてもとてもやさしい子でしたから
苦しくなって唸るようになったのは16日の午前1時ごろからでした
かかりつけの病院に走ることもできたのですが
なぜか娘も私も今回は言いだしませんでした
随分と悪くなってきていたのは感じていたしここで延命できたとしてもこの先も苦しまなくてはいけないなら・・・終わらせてあげたい・・・でも もしかしたら良くなるかも・・・
そんな思いの中、何もしてあげれなくて2人で撫でて、呼びかけているだけでした
押し寄せてくる痛みと痛みの合間に何度も私を振り返って見ました、たしかに・・
心臓が止まってもう一度動いたとき4回も5回も息をしようとしましたが
肺の中も気管の中も血でいっぱいで もう息はできませんでした
苦しそうでした「もういいから もういいから 早く止めて」と叫んでいました
じゅんは最後まで毅然とした目をしていました、うつろな目など一度もしませんでした
辛そうな顔もそぶりも一度もしませんでした、私たちは足元にもおよびません
娘と2人で棺を作って花やおやつやおもちゃで埋めてあげました
食べれなかったおやつがいっぱいいっぱいあって・・・・
今にも美しい白い毛が動くのではないか 動いたのではないかと
私も娘も何度もじゅんに触れました・・・まだ暖かいよと
夕方 息子家族と娘と5人で火葬にいきました
じゅんの喉仏はとても美しい仏様でした
じゅんは橋が苦手で小さな橋も怖がって渡りませんでした
ちゃんと虹の橋を渡れたでしょうか・・・・
渡れたら連絡してくれるように言っておいたのに、まだ連絡がありません
きっとそれどころではなくてドリーちゃんやエルやみんなに会って走っているのでしょう
一息ついて思い出したら連絡してくれるでしょうか
今となっては抱えた時のどっしりと重かったじゅんの重みがなつかしく、いとしく思い出されて・・・・もう一度抱きしめたい もう一度触れたい
今は最後のその時の光景が目に焼き付いて離れず
苦しませてしまったことへの後悔が心を占めています
ですがどんなに悔やんでも もうじゅんは戻りません
じゅんとの朝晩の散歩は本当に本当にやすらぎでした
雨の日も炎天下の日も吹雪の日も台風の日も1日も欠かさず散歩にでたじゅんと私
おかげで初日の出も夕日の美しさも雪の美しさも木々の芽生えも小さな草花も
秋の紅葉もうぐいすの声も木の実の実りや突然の虹にも気づかせてもらいました
心洗われる日々でした 心豊かな時間でした
16年間ありがとうね じゅん
また 会えますね
by masakondamam | 2008-09-20 16:13 | わんこ&にゃんこ